福岡高等裁判所 昭和55年(ラ)64号 決定 1980年7月23日
抗告人 海野進
<ほか一七名>
抗告人兼右抗告人ら一八名訴訟代理人弁護士 横山茂樹
右抗告人ら一九名訴訟代理人弁護士 熊谷悟郎
相手方 株式会社馬場住研
右代表者代表取締役 馬場茂
<ほか一名>
主文
一 本件抗告を棄却する。
二 抗告費用は抗告人らの負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方らは、原決定別紙目録記載の(一)の土地上に建築工事中の同目録記載の(二)の建物のうち五階以上の建物部分を建築してはならない。相手方らは、右建物の二階以上の北西側各戸の窓及び各階通路部分について、原決定別紙図面(二)に赤斜線で表示したとおりアクリル板等をもって目隠しを設置しなければならない。相手方らは、右第二項で建築を禁止された部分に存する板枠を本命令送達の日から五日以内に取り除かなければならない。執行官は、右命令の趣旨を公示するため適当な方法をとらなければならない。申請費用、抗告費用は相手方らの負担とする。」との裁判を求めるというのであり、抗告の理由は、別紙記載のとおりである。
一 住居の日照、すなわちこれによる住民の心身の健康に及ぼす影響等は、快適で健康な生活に必要な生活利益であり、法的保護の対象とすべきであって、他人が権利の行使としてその所有地上に建築物を築造したことにより、隣人が従前右土地の上方空間を介して享受していた日照を遮断された場合において、右妨害が社会生活上一般に受忍すべき限度を著しく超えていると認められるときは、日照を阻害された被害者は、右生活利益の侵害を理由として、右築造工事の禁止その他妨害の予防・排除を求める権利を有するものと解するのが相当である。しかして右日照の被害が右受忍限度の範囲内であるかどうかは、被害の程度、当該場所の地域性、被害回避の可能性その他被害者側及び加害者側の諸事情を総合的に考慮して判断すべきである。
そこで、原決定認定の事実及び一件記録に基づき、これを本件についてみる。
1 本件建物の建築による日照の被害は、本件土地の北西側隣接地である抗告人海野、同横山の各所有地において最も大きく、冬至において、抗告人横山のそれは抗告人海野所有の七階建のビルディング(以下「海野ビル」という。)と本件建物との複合日影により、抗告人海野のそれは、六階建の学校校舎と本件建物との複合日影により、それぞれ終日日照が阻害される。
しかしながら、抗告人海野は、昭和五〇年に海野ビルを新築し、その地域における建物の高層化を促進した一人でありこれに伴う有形無形の利益を自ら享受する一方で、隣人の日照を現に阻害しているのみならず、海野ビルは、東南側に開口部が少なく、元来日照の享受を重要視する構造をとっていない。抗告人横山も、右土地上に四階建の建物を所有することにより、それなりの利益を享受しており、右建物の構造も東南側は海野ビルと同様採光のための小窓が六か所設けられているにすぎない。そして、抗告人横山は、本件建物を抗告人らが求めるように四階建に設計変更しても、前記複合日影もあり、被害の回避は望めない状況にある。
そうだとすると抗告人海野、同横山の場合は、上述の諸事情に照し、加害者に加害の意思があるなど特段の事情がない限り、日照の侵害はこれを受忍すべきであり、冬至の前後において終日日照が阻害される結果になっても、右特段の事情について疎明のない本件においては、前記受忍限度を超えていると認めることはできない。
2 次に、幅員一〇メートル足らずの道路をはさんで本件土地の北西に位置する抗告人福田ら桜町八番南東側の抗告人らの住居地についてみるに、この一画は、比較的自然環境に恵まれた良好な住宅地であり、右抗告人らは、恵まれた環境のもとで長年快適な生活を営んできたものであるが、ここに本件建物が完成すると、居住環境の大幅な変化に直面しなければならなくなり、殊に日照については、右住居地は、冬至において、本件建物によりそれぞれ三、四時間の日照の被害を受ける。抗告人鳥羽瀬、同福田の場合は、本件建物の日影から脱した後、さらに前記既存建物による被害を受けることになり、同抗告人らの各居住建物の主要開口部に対する日照を基準にしていえば、さらに被害が増大することも十分考えられる。
しかしながら、右住居地は、長崎市における商業地域の中心部付近に位置し、県庁、市役所をはじめ長崎市随一の繁華街も徒歩圏内にあり、周辺には、中高層の建物が多数たち並ぶ立地条件の優れた市街地であって、平地面積の少ない長崎市にあっては、土地の有効利用を計る必要から、商業地域における中高層化の傾向は、今後さらに進展するものと推察される。
右抗告人らの住居地は、右のとおり市街化の進んだ地域であり、このような立地条件のもとにおいては、生活の便利さが優先し、日照の利益は、ある程度犠牲を余儀なくされてもやむを得ないというべきであり、土地の高度利用に伴う日影規制を定めた建築基準法五六条の二が、土地の高度利用者と日照の被害を受ける周辺住民との利益の調和を図る目的から商業地域を規制の対象から外していることも、右のような観点に立つものと理解される。もとより、抗告人ら主張のように、加害建築物の建築が現行建築関係法令に違反していないことの一事で直ちにその与える被害が受忍限度を超えていないものといえないことはもちろんであり、右法条にしても、建築についての公法的規制を定めた規定であり、私法上の権利関係を直接規制するものでないことはいうまでもないけれども、右立法の趣旨に照すならば、右のような地域性を重視せざるをえない。このほか、右抗告人らの日照の被害は、冬至の前後においてこそ重大というほかないが、春秋分時には午前九時から一一時ころにかけて順次本件建物の日影から抜け出すことができるのであって、年間を通じ日照に浴せないというものではないこと、本件建物を建築するについて相手方らにおいても抗告人らの日照の被害について一応の配慮を示しているなどの諸事情を勘案すると、右抗告人らの日照の被害は、本件建物の建築工事の差止めを認容すべき程著しく受忍限度を超えているものと認めることはできない。
抗告人らは、原決定が相手方の設計変更によって発生する損害を受忍限度の判断について考慮していることを非難するが、建築の差止めによる相手方の損害は、受忍限度を判断するについて考慮すべき一個の事情であることは明らかであるから、原決定のこの点に関する認定判断は正当であり、何ら非難するにあたらないのみならず、本件においては、仮に右損害を除外して考えてみても、前示の諸事情に鑑み、右結論には異同がないといわなければならない。
3 その余の抗告人らについては、日照の被害がさらに軽微であり、前記受忍限度を超えないことが明らかである。
三 抗告人ら主張の眺望阻害、圧迫感等の生活利益の侵害も、原決定認定の事実殊に地域性に照せば、すべて受忍限度の範囲内であり、これをもって本件建物の建築工事の禁止を求めることは許されないものというべきである。
四 以上のとおり、抗告人らの所論はいずれも理由がなく、その他、記録を精査するも、原決定を取消すべき違法の点は見当らない。
よって、本件仮処分申請を却下した原決定は相当であって、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 矢頭直哉 裁判官 権藤義臣 小長光馨一)
<以下省略>